クラッシュが1978年にリリースした、パンクとレゲエの融合した名曲、"(White Man) In Hammersmith Palais" (邦題:ハマースミス宮殿の白人) 。歌詞には実在するアーティストが数名が登場する。レゲエの影響を受けている曲なためか、レゲエを演奏するミュージシャンが多い。ここではそんな曲中に登場するアーティストを少し紹介してみたい。同時にちょっとした曲の解説にもなるかもしれない。
まず第1バース(Aメロ)で
"Dillinger and Leroy Smart"
と登場するDillinger(デリンジャー)とLeroy Smart(リロイ・スマート)。
デリンジャー(本名レスター ブロック)は70年代半ばに活躍したジャマイカのレゲエミュージシャン。60年代から70年代にジャマイカで生まれたディージェイ・トースティングというジャンルで人気を博したとされている。ディージェイ・トースティングというのは、移動式のサウンドシステムを用いて人気のヒット曲に合わせDJがトースティングする(リズムやビートに合わせてしゃべったりする)音楽スタイル。
イギリスの音楽番組、トップ・オブ・ザ・ポップスで1977年7月に放送されたもの。
ちなみにデリンジャーという芸名の名付け親はリー・スクラッチ・ペリーらしい。
リロイ・スマートも70年代に活躍したジャマイカ出身のレゲエミュージシャン。数多くのアルバムを作成しており、人気アーティストの一人。バニー・リーとも仕事を共にしていた。
彼のもっとも有名な曲の中の1つ。76年の作品。
”Delroy Wilson, your cool operator”
と出てくるデルロイ・ウィルソン。彼は上述した二人よりも早い時期に活動を始めており、1961年には13歳という若さでデビューしているジャマイカのミュージシャン。60年代、70年代と活動し、歌詞の”your cool operator”とは、「クール・オペレイター」という彼のニックネームで、彼の"Cool Operator"という曲にちなんでいる。
彼の最も有名な曲の1つである'67年リリースの"Dancing Mood"と、'72年に発表され”Cool Operator”。
(ただ動画の"Dancing Mood"はおそらく60年代録音のものではないと思われる。)
第2バース(Bメロ)の頭にくる
"Ken Boothe for UK pop reggae"
のKen Boothe(ケン・ブース)。彼もジャマイカのアーティストで活動歴も古く、60年代からレコードをリリースしている。1974年に、アメリカのバンドBread(ブレッド)のカバーである "Everything I Own"でブレイクを果たす。
歌詞の
"Ken Boothe for UK pop reggae"
(UKポップレゲエで有名なケン・ブース)
とあるように、レゲエとメインストリームの音楽をクロスオーバー、つまり融合させた曲をリリースしてきた。
'74年リリースのケン・ブースバージョンと'72年リリースのブレッドによるオリジナルバージョン。
ちなみに、続く
"With backin' bands sound systems"
(バックバンドのサウンドシステムと共に)
のsound systems(サウンドシステム)とは、デリンジャーの説明でも登場したように移動式の音楽設備のことを指す。このサウンドシステムはジャマイカのレゲエやスカ、ロックステディなどの音楽ジャンルで用いられる、DJや積み上げられたスピーカーを調節するエンジニア、MCのグループの総称であり、非常に重要なジャマイカ文化の1つだということ。
歌詞に登場するジャマイカ出身のレゲエアーティストは以上だが、コーラス部分(サビ)の
”But it was Four Tops all night..."
(でもそのレゲエライブは夜通しフォー・トップスみたいだった)
と出てくるFour Tops(フォー・トップス)はアメリカのR&Bコーラスグループのこと。
歌詞で歌われるストーリーでは「レゲエライブに来てルーツロックの反逆の音楽を期待してた歌い手が、ステージで行われるポップな(フォー・トップスのような)レゲエのパフォーマンスに失望する」という流れで出てくるアーティスト。
モータウンで60年代を中心にヒットを多くとばしたグループ。歌詞の中ではやや下げられているが、彼らももちろん素晴らしいアーティストだから紹介したい。
"I Can't Help Myself (Sugar Pie Honey Bunch)"が彼らの一番の代表曲かもしれないが、ここでは自分のお気に入りで、某映画でもつかわれていた1968年リリースの”Walk Away Renée”。カバー曲でオリジナルはアメリカのバンド、The Left Banke(ザ・レフト・バンク)が'66年にリリースしたもの。
コーラス部分と2番に入る前に短いセリフにような
”(Dress back, jump back, this is a bluebeat attack)"
という歌詞が出てくるが、ここの”bluebeat attack”(ブルービートの攻撃だ)のブルービートとは、ロンドンを拠点とし、60年代に多くのジャマイカンミュージックをリリースしたBlue Beat Records(ブルー・ビート・レコーズ)のこと。その影響でジャマイカのポップミュージックをブルービートと呼ぶ。当時のブルービートとはジャマイカのブルース音楽の総称。
ハーモニカの間奏をはさみ2つ目のバースで
"The new groups are not concerned"
と続く。このバースの
”They got Burton suits, huh, ya' think it's funny”
(やつらはバートン・スーツを着てやがる、へっ、笑っちまうだろ?)
という部分。歌詞はパンクロックが反逆的なものからより大衆的に、商業主義的に変化していくことへの心配、またそういった同期のグループへの批判である。
この曲をリリースした当時、バートン・スーツを着て活躍していた同期のパンクバンドといえばPaul Weller(ポール・ウェラー)率いる、同じくイギリス、ロンドン出身のThe Jam(ザ・ジャム)だろう。1977年デビューで、おしゃれなスーツで激しくコードをかき鳴らすスタイルで人気に。当時革のジャケットをまとうパンクロッカーが多い中、このマーケティングは大成功。
ザ・ジャムもこれからR&Bやファンクを取り入れ、どんどん音楽性が変化していく。
フォー・トップスもザ・ジャムも歌詞の中では批判の対象になっているかもしれないが、今もなお人気のアーティスト。
最後に、歌詞にアーティスト名が出たり、暗示もされていないが、曲の冒頭の
”Midnight to six, man”
という歌詞はイギリスのサイケ/ガレージバンド、The Pretty Things(ザ・プリティ・シングス)の”Midnight to Six Man”(1966)のことだとされている。